気候で読む日本史 (日経ビジネス人文庫) pdf無料ダウンロード

気候で読む日本史 (日経ビジネス人文庫)

田家 康 / 本

気候で読む日本史 (日経ビジネス人文庫) pdf無料ダウンロード - 田家 康による気候で読む日本史 (日経ビジネス人文庫)は日本経済新聞出版社 (2019/1/8)によって公開されました。 これには344ページページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、5人の読者から4.1の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。

気候で読む日本史 (日経ビジネス人文庫) の詳細

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タイトル
気候で読む日本史 (日経ビジネス人文庫)
作者
田家 康
ISBN-10
4532198844
発売日
2019/1/8
カテゴリー
ファイルサイズ
27.04 (現在のサーバー速度は24.33 Mbpsです
気候で読む日本史 (日経ビジネス人文庫) pdf無料ダウンロード - 内容紹介 われわれの先祖はいかにして立ち向かったのか?異常気象との攻防1400年! 様々なエピソードを詳細なデータに基づき分析する。●「銃 病原菌 鉄」の日本史版! 本書は、われわれ日本人の祖先が気候変動に対しどのように立ち向かってきたかについて、歴史の流れに沿って記したもの。気候変動に起因する災難等への各時代の人々の行った対応策に力点を置いています。 日本人は自然災害に対して受け身であり過去の経験を活かす意欲に欠けるといわれることがありますが、そんなことは決してありません。われわれの祖先も現実を直視し、苦悩する中で何とか打開策を見出そうと模索し、予防策を真剣に考え行動を起こしてきました。その歴史を振り返り、今も頻発する異常気象、災害にどう対処すべきかを学べる1冊です。 内容(「BOOK」データベースより) 律令制を崩壊させた干ばつ、日蓮が記録した天変地異、寒冷化が可能にした新田義貞の鎌倉攻め―。日本人が異常気象や気候変動に起因する災難にどう立ち向かってきたかを、豊富なエピソードと緻密なデータで描き出す異色作! 商品の説明をすべて表示する
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『万葉集』の「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」は、九州の大宰府で政府官僚・小野老(をののおゆ)によって詠まれた歌で、奈良の都の花のような美しさが賛美されている。実際に、同時代人がそうイメージしていた証拠となる歌だ。しかし、本書によれば、奈良時代は、太陽活動が活発化した時期だったため、主に、高温乾燥の気候がもたらす干ばつによる飢饉が84年間で23回、実に約4年に1回の割合で起こっていたという。それ以降の時代もあきれるほど、飢饉が頻発している。著者の田家氏は、気象予報士とのことだが、本書は、国内外の気象科学の論文にとどまらず、『日本書紀』『続日本紀』などの史料から具体的事実を引用し、気候と飢饉との因果関係を通史的に論述する。その基本的なスタンスは、太陽活動の変化や巨大火山噴火、エルニーニョ現象などにより、世界規模の気候変動が干ばつや冷夏・長雨をもたらし、日本史に残る悲惨な大飢饉を招いたというものだ。ためしに、平安時代と鎌倉時代の大飢饉とその関連事項を、以下に本書から抜き書きしてみた。このうち、「何々極小期」とは、太陽活動が低下した時期を指している。900年代は、国史の編纂が途絶え、宮廷人の日記などの史料も乏しいため、残念ながら、後世、理想的な時代と仰がれた醍醐天皇の「延喜の治」(901年~23年)の気候の実態はよくわからないらしい。○平安時代(794年~1185年)・797年~99年長雨・洪水による全国規模の飢饉・830年代干ばつによる全国規模の飢饉・1000年±40年中国・北朝鮮国境の白頭山が噴火・1040年~80年頃オールト極小期による寒冷化・1133年寒冷化による長承・保延の飢饉○鎌倉時代(1185年~1333年)・1230年~32年冷夏・暖冬による全国規模の大飢饉(「寛喜の飢饉」)・1256年~58年各地で大雨・洪水・台風・干ばつ・大地震による飢饉(「正嘉の飢饉」)・1258年インドネシアのサラマス山が噴火・1280年~1350年頃ウォルフ極小期による平均気温の急激な低下・1314年・1320年冷害による全国的な飢饉著者は、1230年~32年の「寛喜の飢饉」がわが国で史上最悪の飢饉ではないかという。そのときの有様は、鴨長明の『方丈記』に詳しく、「又(また)養和のころとか、久しくなりておぼえず。二年が間、世中(よのなか)飢渇して、あさましき事侍りき。或(あるい)は春夏ひでり、或(あるい)は秋、大風、洪水など、よからぬ事どもうち続きて、五穀ことごとくならず。」「築地のつら、道のほとりに飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も不可(しらず)。」などの悲惨な描写が有名だが、藤原定家の『明月記』にも、「死骸、逐日加増し、臭香、徐(おもむ)ろに家中に及ぶ。」「京中の道路、死骸更に止まらず。北西の小路、連日加増す。」などの記録がある。著者は、この「寛喜の飢饉」の原因を、1220年代後半から、ロシア、イングランド、フランスなどで冷夏が記録されていて、かつ、グリーンランドや南極の氷床コアに火山灰の痕跡があることから、どこかの火山(未特定)の巨大噴火により突然の寒冷化が発生し、同時に、エルニーニョ現象による温暖化が重なったと推測している。また、日蓮の『立正安国論』の冒頭で、「近年より近日に至るまで、天変・地夭(ちよう)・飢饉・疫癘(えきれい)、あまねく天下に満ち、広く地上にはびこる。牛馬、巷に斃(たお)れ、骸骨、路に充てり。」などと記された大飢饉は、1256年~58年の「正嘉の飢饉」だったという。その背景として、著者は、1250年からの100年間が太陽活動の低下による温暖期から寒冷期への移行期(「1300年のイベント」)にあったために起こった地球環境の様々な変化(海面水位の低下など)を重視している。ともすれば、学術書は、テーマがトリヴィアすぎる場合があるが、本書は、論述対象が世界規模だからなのか、どことなく、ジャレド・ダイアモンドの壮大な歴史書『銃・病原菌・鉄』との類似性を想起させる。その『銃・病原菌・鉄』は、ヨーロッパのみが世界史をリードすることができた原因を、偶然の産物のような“原始的な穀物が存在した”といった地理的要因に求め、いったん、先行して文明化すると、“先行者優位”の効果により後代に極端な文明格差が生み出されたという「仮説」を立てて、世界規模の歴史的事実によりその「仮説」を実証しようとする。これに対し、本書の場合、過去の気候に関する科学データと史料の質と量は、現在、収集可能なものを収集し尽くしたと思わせる驚くべきレベルに達しており、それらと飢饉との相関関係を丹念に論述していくが、結果的に、日本史上、多数の餓死者を出した大飢饉の原因が世界規模の気候変動にあったかどうかは詰め切れていない。その背景には、世界規模の気候変動とわが国の気候の定量データが不足しているほか、大飢饉の発生の因果関係が複雑で、わが国の東北地方特有の冷たい季節風(「ヤマセ」)による稲作への打撃、台風の直撃や洪水・津波の被害といった地域的な要因の影響が大きく、さらには市場の米価といった経済的な要因も無視できないため(たとえば、マウンダー極小期の1691年~95年に東北地方で発生した「元禄の飢饉」の場合)、簡単には因果関係が立証できないという気象科学独特の事情があるようだ。本書によれば、飢饉への対策は、「農業技術の発達」と「為政者による統治の安定」の2つに分けられる。1つ目の「農業技術の発達」には、古代のため池と灌漑設備の整備、鉄製農具・農耕家畜の普及による農業生産性の向上、江戸時代に盛んになった新田開発、明治時代以降の冷害に強い稲の品種改良などがある。2つ目の「為政者による統治の安定」とは、古代の雨乞いの祈祷、税の軽減、救済米の支給(賑給)、雑穀栽培の奨励、北条泰時による出挙米の放出、水野忠邦の「天保の改革」による市場の米価抑制などをいい、著者は、鎌倉幕府と江戸幕府の対策を高く評価しているようだ。結論として、著者は、今後も起こりうる世界規模の気候変動への対策は、過去の対策と同じで、いわば、『旧約聖書』の「日の下に新しきものなし」だという。本書は、気象科学のエヴィデンスから日本史へアプローチする斬新な切り口の力作だが、もしかすると、本書のエピローグに書かれた通史的な視点を「総論」として膨らませることで、『銃・病原菌・鉄』のようなストーリー性のある、もっと本格的な論述が可能だったのかもしれない。おそらく、専門の歴史学者で、本書の意欲的なテーマを正当に評価できる人はあまりいないだろうが、読者の多くは本書の試みを支持するだろうと思う。なお、文庫化に際し、編集部は、「兵庫県垂水市」(p99)、「火の粉が上がる」(p215)ほか、いくつか散見するミス(?)や誤字をチェックすべきだったと思う。

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